“夢”は想うものではなくて叶えていくもの・・・・
言葉で言うのは簡単だけれど、実際それを形にしていくのは難しい…
祖母が寝る前に話してくれる、スペインのお城や貴族にまつわるお伽話に想いを馳せる少年がいました。いつもお伽話の主人公に成りきっていた少年の夢は『いつか自分自身のお城を持つ事』・・・一見どこにでもいる夢見る少年こそがこのパークの創設者、ホゼ・パロネラです。しかし、夢とはほど遠い厳しい生活の中でホゼの夢はあまりにも大き過ぎたのです。
その後、20歳を過ぎてケーキ職人として働き始めたホゼはあるカフェに立ち寄り、オーストラリアで線路工事の労働者を募集する広告を見つけました。誰もが目にする広告を通り過ぎるだけではなく、チャンスと感じたホゼはスペインでの生活を捨て、不安と希望の両方を抱えながら未知なる自分の可能性に掛けて1913年、26歳の時にここオーストラリアに渡り、夢への第一歩が始まったのです。
シドニー入りしたホゼでしたが線路工事の仕事は見つからずに、ここクイーンズランドへ移動して来ました。まずサトウキビを刈る仕事を始め、そこで身に付けた知識と経験を活かし後に自らオーナーとなり、土地を購入,開拓,売却という決して楽ではないこの生活を16年間続けました。ホゼの様に移民で来た労働者は厳しい生活を嘆き悲しみましたが、ホゼにはどんな辛い時でも消えない想いがありました・・・。小さい頃からの夢、そしてそれを実行してきた今までの自分の行動、そしてまだ夢の途中…だという想いでした。
立派な青年実業家になったホゼは、故郷スペインへ戻りマルガリータという女性と結婚しました。
新婚旅行を兼ねてヨーロッパの国々を訪れ、建築様式などを学び再びここオーストラリアに戻り、兼ねてから目を付けていたミーナ側沿いに広がる手付かずの土地を当時120ポンドという大金で購入し、ホゼの長年の夢が1929年、現実の第一歩に変わっていったのです。
ホゼの建築技術は無いに等しく、彼の設計は紙面上ではなく常に頭の中にありました。まず初めに、お城の建築材料である土や土砂をミーナ川から運ぶ為の運搬通路として、47段の大階段が造られました。
次にホゼ一家が住む石造りの家が造られました。 お城は全て鉄筋コンクリートで造られていて外観には ホゼや労働者が直接コンクリートを手で塗った指跡が残り、 また使われなくなったサトウキビの線路を入れる事に よって、お城全体が強化されるように造られています。 電力がまだ普及されていないこの時代に滝を利用して、 クイーンズランド初の水力発電まで造ったのです。 ホゼの幼い頃の夢『自分自身のお城を持ちたい』という 夢はいつしか形を変えて、誰もが楽しめる夢のような場所・・・ 『パロネラパーク』として1935年、遂にオープンしたのです。
上のお城には大広間,映写室,展望台,レストランがあり、大広間では結婚式やダンスパーティーが行われました。更に土曜日の夜には映画館としても利用され連日大賑わいでした。大階段を下りるとそこにはピクニックエリアがあり、またカフェ,観覧席,演奏ステージ,キッチンが完備されたもう一つのお城がありました。カフェではマルガリータ特製のパスタ,スペイン料理,スコーン等が食べられ、また庭園ではテニスの試合も行われるなど大人も楽しめる場所となっていました。ここへ1日来れば遊びと食事が出来るだけでなく、世界観も学べるようにと蝶や昆虫の標本や、旅行中に買い集めた品々が収められていた博物館もありました。恋人達の小道,愛のトンネルなどからは、恋人達の為に特別な計らいがしてある事がうかがわれます。ここで結婚式が行われた事も珍しくなかったようです。
愛と夢に満ち溢れたお城に大惨事が起こりました。パーク上流で土地開発のために切り倒された木々が激しい雨と共に押し流され、パークのほぼ全てが壊滅されたのです。しかし、ホゼは諦めずに『パークの再建』へと新たに夢を変え、初めに上のお城の修復から取り掛かりました。階下のお城はほぼ修復不可能だった為、キッチンは上のお城に移動し再び人が戻ってくるようになりました。その後修復を続けたホゼでしたが、全て修復される事なく1948年、60歳の若さで胃癌の為に最後は妻のマルガリータの腕の中で亡くなってしまいました。その後、ホゼの夢は妻のマルガリータへと受け継がれ、彼女の死後は息子のジョイ、そして彼らの息子へと引き継がれました。しかし、ここイニスフェルがオーストラリアの中でも雨量の多い地域ということもあり、度重なる洪水によって維持していくのが難しくなり、また時代と共にパークでゆっくり過ごす人々も少なくなり1977年、パロネラファミリー以外の方に売却する事になったのです。その後、新しいオーナーが見つかり大広間で結婚式も行われたのですが、1979年に起きた大火災によって上のお城のほとんどが焼き尽くされてしまいました。その後1986年に台風ウインフレッドが襲い、ホゼの夢そのものだったこのパロネラパークは廃墟化し、人々にいつしか忘れ去られたパークとなっていってしまったのです。
story1年、運命に導かれるかのようにあるオーストラリア人 の家族がこのパークを訪れました。キャンピングカーでオー ストラリア1周の旅をしていたマーク&ジュディ・エヴァンス 夫妻です。ホゼの夢とパークの歴史に感銘を受けた彼ら はここを購入する事に決めました。パークの運営方法など 全く知らなかった彼らですが“ホゼの夢を引き継ぎたい” という一途な想いで遂に、パロネラパークは再び皆なに愛される場所として甦ったのです。 その後、クイーンズランド州の観光賞,重要歴史文化財も受賞しました。
ホゼ・パロネラが長年の夢を“形”へと変たパロネラパーク。
ここに何年もの時を越えて遊びに来られた皆さん。
ホゼの夢が生き続けるという意味だけでなく、
パロネラパークから何かを受け取ったあなたが、今度は夢を形に変えて行く時が来たのです。
そしてそんなあなたから誰かが何かを受け取って、夢を形に変えて行くのです。
これこそが The Dream Continues…なのです。